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2021年12月22日 (水)

死刑制度がえん罪を作り出している

昨日、3人の死刑確定者が死刑執行された。この機会に、死刑制度とえん罪の関係について考えてみたい。

死刑となるかもしれない凶悪事件が発生し、犯人と思われる被疑者を取調べるとき、捜査官が必ずいう常套セリフがある。

「証拠はそろっている。それでも否認したら死刑になるぞ。素直に認めれば懲役で済む。よく考えろ。」

「証拠はそろっている」というのはブラフであるが、自らはえん罪であることを当然わかっていても、捜査官にそう言われれば、そういう証拠があるんだと思ってしまい、死刑にだけはなりたくない、死刑にさえならなければ何とかなるだろう、あとで裁判官にはわかってもらえるかもしれない、などと思って、取調官の言うなりに自白する。

とにかく死刑だけは何とか避けたい、と思って積極的にウソの自白をする。ああでもない、こうでもないと想像を巡らして、取調官の誘導に自らすがり付き、迎合して自白する。このようなケースが多い。袴田事件、布川事件、今市事件など、すべてその構造だ。

死刑には絶対になりたくないから、ウソの自白をする。死刑制度があるために、それを利用して自白が強要されているのだ。死刑制度自体がえん罪を特別に作り出している関係にある。

えん罪は死刑事件以外にもたくさんある、えん罪を理由に死刑廃止を主張するのはおかしい、という意見があるが、死刑制度とえん罪の特別の関係が見逃されている。

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