« 2015年1月 | トップページ | 2015年3月 »

2015年2月

2015年2月 6日 (金)

裁判員裁判の結果を最高裁が覆していいか

2015年2月4日、最高裁は、裁判員裁判による死刑判決を破棄し、無期懲役とした高裁判決を維持する決定を出した。結論は賛成だ。

裁判員の市民感覚を尊重しつつも、判例からみた公平性によったという。とりわけ死刑判断の公平性を重視したといわれる。

たしかに、死刑判断はより公平にというのは分かるが、死刑判断でなくても公平性は一定尊重されるべきだ。

では、裁判員裁判の意味はどこにあるか。判例にあまりとらわれず、市民感覚を尊重するという建前とどのようにバランスをとるか。 この点で最高裁は、悩ましい弁明をしているが、実はそれほど悩む問題ではない。

判例、公平性のレベルを超える重罰刑は公平性の観点からダメ、個別の情状を評価してそのレベルを下回る判決(執行猶予を含むより軽い刑)はOKとすればいいのだ。つまり、公平性の観点から、その上限を超えることはできないが、下限はなくすという考え方だ。既に、フランスは、刑事司法改革で下限刑をなくしている。

公平性は、重罰化を防ぐという面で考慮すればよく、裁判員裁判における量刑が、量刑相場を超えて重く揺れる場合には、上級審での適正な見直しがなされてしかるべきであろう。もっとも、そこに合理性があれば、裁判員裁判の結果を尊重する場合もあるだろう。

今回の最高裁決定から、死刑が想定される事件は裁判員裁判の対象にしないという意見も出ている。しかし、陪審員が量刑は判断しないとされるアメリカの陪審制は、死刑のときは陪審員に判断させる。死刑という極限の問題を市民が考えることは極めて重要であり、市民社会のシステムの根幹に関わるから、裁判員裁判に死刑が想定される事件を除くという考え方には賛成できない。

|

« 2015年1月 | トップページ | 2015年3月 »