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2014年3月

2014年3月17日 (月)

ドマ委員が語った日本の印象(5)

ドマ委員の国モーリシャスは多民族社会である。

アフリカの中では、ジェンダーを含めて、市民的権利を最も厚く尊重している国であり、1960年代の憲法で、まず市民的権利、政治的権利を確立したので、アフリカで一番になったという。

死刑もない。

取調べの録画もしている。そのビデオテープは継続的で、収録者は独立した人でなければならないという。部分的な開示は、開示ではない。

市民的権利、政治的権利を守ることで、国が底上げされた、と明言した。

 

36日夕刻、帰国に当たって、日弁連会館で記者会見が開かれ、次のように日本の感想を語った。

 

―非常に進歩的で偉大な国であるというのが日本の印象。

しかし、日本の法制度、とりわけ刑事司法制度を知った時には、ショックを受けた。

日本のような偉大な国が何故、欠けているところがあるのか、びっくりした。

そこだけが弱点である。他は本当に素晴らしいのに。

日本が目覚めたとき、アジアも発展する。世界の文明全体のお手本になる。

知的にも、創意工夫もある日本には、それができる。

 

世界は、神から、国家の権利、個人の権利へと発展した。

アジアで最初に個人の権利を示したのは日本。

デュラン「文明の歴史」に書いてある。

300年前死刑は廃止されていた。

日本はどこかで間違ったのではないか。―

 

記者からの、「長期間の拘束の理由として、『証拠隠滅の恐れ』があげられているが、どう思うか。」との質問に対しては、「今の時代は、近代的技術が発達しており、証拠はなかなか消せない。携帯電話の記録も消せない。」と、発想の転換が求められていることを示唆した。

「弁護人と会わせる、家族と会わせることは、警察にとっても重要な情報になり得る。そうして被疑者が真実を言った方が、警察にとって助けになる場合もあるからだ。」との指摘は、「発想の転換」そのものであった。

ドマ委員も、裁判官の前は弁護士であった。

 

こうして記者会見を終えて、帰国の途についた。

ドマ委員からは、3日間、心に沁みる助言をいただいた。

「文明とは、善意をもって生存をはかる選択である。」といった文明論から、

「警察のもつ権限は、司法のコントロールの下におかれなければならない。日本では、あまりにも警察に強大な権力がおかれている。民主的な制度の下では、特定の機関に絶対的な権力を与えてはいけない。絶対的な権力は必ず腐敗する。

あらゆる人が正しいという前提で制度が運用されれば、間違う。」

といった民主制論、司法論に至るまで、あまりにも貴重な言葉の数々であったので、

もったいなくて、BLOGにできるだけ正確に、細かく書き連ねた次第である。

有益な3日間に感謝!

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2014年3月16日 (日)

日本の閉鎖性にドマ委員アドバイス(4)

日本に滞在した3月4日からの3日間、ドマ委員(モーリシャス最高裁判事)は、外務省、警察庁、法務省を表敬訪問し、東京拘置所、原宿警察署を視察した。

「日本のどこが中世か、よく見てほしい」との皮肉な挨拶には、「技術的には先進国だが、ただ一つ、刑事司法が遅れている。」と切り返した。「捜査と人権のバランスをどうとるかは、世界的な問題である。世界はそこで悩んでいる。立場の違いがあっても、バランスをとるべきという点では一致している。」、「日本は、国際法と国内法の分離がある。しかし、拷問はダメという点で違いはない。国際法と国内法を一致させるべき。」と、相手にフィットした的確な紳士的挨拶に感心した。

東京拘置所には、予め、刑場と死刑確定者の居室の視察を要望していたが、応じられなかった。 ドマ委員は、施設の責任者に、「刑場はどうなっているのか」、「死刑の執行はどのようにするのか」と穏やかに質問したが、一見すればわかることなのに、視察できなかったのは残念だった。

ドマ委員としては、弁護人との面会、医療アクセス、家族との面会など、被疑者の権利が本当に守られているかを知りたかったようだが、説明がなかった。 ドマ委員は、死刑確定者の精神疾患について、この人たちに対する「独立した検討を確実に行うこと」との日本政府への勧告は、独立した医師が診察する医療検査システムを求めるという意味であるという。

翌日の記者会見で、東京拘置所の感想を聞かれ、「超近代的施設であり、所内に病院がある。印象としては、3つ星のホテルに匹敵する。」と持ち上げつつ、「新しい近代的なシステムだが、(施設を動かす)人が古いやり方であり、新しいシステムに人が追い着いていない。」とも語った。 さらに、死刑について、「なぜ、1年も、10年も、20年も、30年も執行期日を伝えないのか、それこそが拷問。執行が両親にも知らされないことがどのように説明されるのか。それで『心の平安』といえるのか。死後に初めて知らされるのも、拷問。」と語った。

原宿署でも、留置場は見せられたが、取調室は見せられず、説明もなかったようだ。 原宿署も全く同じ、超近代的設備であるが、ソフト面が問題であるとの認識をもったようだ。

国連条約機関の委員に対してさえ公開しないことの弊害をどう考えるか、日本政府は深刻に反省してほしい。 この閉鎖性に対しては、「司法に携わる法律家たちが、ドアが開くまでノックし続けること。日弁連などがあともう少し努力していくこと。報道も重要な役割である。」と、記者会見で、貴重なアドバイスをくれた。

道中、上田大使の「シャラップ」発言についての感想を聞いたところ、「びっくりしたが、日本の問題点が明らかになってよかった。」と紳士的な対応。

なぜ「中世」か、との問いに対しては、日本の23日間の拘禁システム、代用監獄、防声具などであるが、改善されるべきという意味で「中世」とのこと。

「中世」論は、民主主義論にまで発展した。 「民主主義は手間がかかる。しかし、今までのシステムよりはいい。なぜなら、今までのシステムはすべて亡びた。 緊張があり、意見の対立があることは悪いことではない。ディスカッションすることによって、より良い結論に到達する。」

司法の独立については、「司法の独立といっても、独立した研修機関が必要。研修を受けて、裁判官が孤独でなくなることにより、真の独立へと進む。法医学者の訓練も必要だ。」と語った。

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2014年3月14日 (金)

日本がトップランナーになるために―ドマ委員の激励(3)

国連拷問禁止委員会ドマ委員が、36日参議院議員会館で講演した。

以下、そのエッセンスを紹介すると、

 

―日本は、技術など先端を行っているが、法制度はそうでない。

代用監獄に23日間も留置するのは長過ぎる。人を拘束することから、間違いが起きやすくなる。人間の意思を封じ込める限度は4日間、重罪は別として。それ以上だと、死ぬ方がましだと思うようになる。

拘禁されている被収容者に対しては、弁護士、家族、医師へのアクセスが保障されなければならない。人間は社会的動物。社会性を奪っては動物になる。品位を傷つけてはならない。

<㊟品位を傷つけるような精神的苦痛を与える行為も「拷問」であり、長期間の拘禁は、それ自体が「拷問」である>

日本では、被疑者から供述を取り、そこで証拠をとろうとするが、そのやり方はよくない。

他の証拠収集方法があるはずだ。黙秘権を行使しても、供述なしで、立件できる。

 

日本にすぐにやってほしいことは、拷問への対処である。

ヨーロッパには拷問が存在したが、それは「中世」の時代だ。拷問では真実にたどりつかない。真実から遠ざかる。

それで、ヨーロッパでは、拷問から離れた。代替手段を見出した。拷問の替わりに、法医学、DNAなどの代替手段がある。

他国では機能しているのに、日本で機能できないわけがない。

 

歴史の教訓としては、どの国も残虐的な行為をして生き残った国はない、すべて崩壊した。

文明を文明的なものにする。民主主義を民主化すること。

文明とは、生き残ることではない。生き残るためにどういう方法を選択するのか、拷問する野蛮人として生き残るのか、拷問しない文明人として生き残るのか。―

 

質疑応答の場で、私は、「拷問禁止委員会が日本に対して、取調べ時間の長さについて規定を設け、その不遵守に対しては適切な制裁を設けること」と、1回目の審査と同じく2回目の審査でも勧告しているが、拷問禁止委員会としては、1日の取調べ時間の長さについて、どの程度まで許容されるというイメージなのか、と質問した。

ドマ委員は、「2時間取調べて、休憩する。それをきちんと記録する。お茶や、昼食後、また2時間取調べて終わり。夜の取調べは絶対にダメ。1日、45時間の取調べで充分。」と答えた。

 

ドマ委員は、「世界史の中でアジアが目覚めるためには、日本が目覚めること。日本は、そのトップランナーでいてほしい。日本が抑圧的なシステムとは思わないが、文化風土の問題がある。それは運用で改善できる。微調整すれば、トップランナーになる。」と激励した。

 

昨年5月委員会審査でのドマ委員の「中世」発言は、日本のことをあまり知らない黒人の思い付きの言葉と思った人もいたかもしれないが、彼は、日本法を大学でも教えており、日本の憲法を含めてよく知っている比較憲法学者であり、きわめて見識のある法律家、学者であることがよくわかった。

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2014年3月 5日 (水)

「中世」発言ドマ委員の話に感銘した(2)

3月4日、日弁連が招聘した国連拷問禁止委員会のドマ委員が講演した。

全世界の裁判官相手に研修活動しているドマ委員だけに、その話は広く、深く、心を打つものであった。

「人間は生まれた時から人権をもっている。それは、憲法も、法律も奪うことができない。」

「民主主義国での権力の行使には、適切な法律、ルールが必要であり、国の全員がその原則を予見できるようでなければならない。」

これらは、まるで今の日本の憲法論議を連想させる。安倍首相に聞かせたい。

取調と自白を偏重する日本の刑事司法について、「まるで中世のようだ。」と委員会で指摘したドマ委員は、今日(日付が変わったので正確には昨日)の講演で、日本の代用監獄における長時間、長期間の取調べに関連して、「真実は、あまりにも熱心に追求すると、とんでもないコストがかかることになる。それまでの実績が台無しになる。真実は、賢く追求すること。リーズナブルに追求すること。それは既に1986年の文献に書かれてある。」と断言した。リーズナブルでない取調べは、古い、前近代的だということであろうか。

ドマ委員のシンプルな原則論と理論的な分析は、会場の心を捉えた。

そして、「世の中の変化を起こすのは専門家である。専門家の責任を放棄すると変化が起こらなくなる。専門家が退廃してはいけない。」との言葉は、弁護士たちに対する激励と受け止めた。

死刑廃止を検討するように、取調べ時間を規制するように、取調べに弁護人を立ち会わせるように、全面可視化するように、といった拷問禁止委員会の勧告については、今年531日までに日本政府にフォローアップの情報の提供が求められている。そこで、少しでもいい情報がドマ委員たちに提供できるように、私たちが力を合わせていかなければならない。

ドマ委員の講演は、36日正午から2時まで、参議院議員会館でも行われる。

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