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2013年3月

2013年3月17日 (日)

石川判決と小沢判決

先日の石川控訴審判決は昨年11月の小沢控訴審判決の影響を何も受けていないように見える。

小沢控訴審判決は、法律家の感覚からすれば極めて常識的なまっとうな認定がなされたと高く評価できる。何らかの事情で、所有権移転時期や登記の時期をずらすことは結構あることだ。裁判所での和解でも、それが合理的だという理由で裁判官も含めて関係者納得の上で、時期を調整するのだ。逆に、そうしなければ弁護過誤になる場合もある。小沢控訴審判決は、そういう実態をよく知っているから出されたといえよう。

もっとも、この場合の事情とは、表に出したくない、やましい事情であったのかもしれない。小沢氏の4億円の出所を隠したい事情があったのであろう。

しかし問われているのは、政治資金収支報告書の虚偽記載であり、その故意があったか否かである。この点では、石川、小沢両事件は共通している。小沢無罪判決の認定事実からすれば、石川控訴審判決も無罪はあり得た。

そもそも現職の国会議員をこの程度の形式犯的な容疑で逮捕することが間違いであり、検察の大変な政治介入であった。その後、小沢強制起訴に向けて、検察が虚偽の捜査報告書を検察審査会に提供したことが暴露された。検察の暴走には目にあまるものがある。

ところが、マスコミは、この点には目をつむり、4億円の出所のみを相変わらずあげつらっているだけだ。その出所は、検察が血眼になって捜査したけれど立件できなかったことだ。にもかかわらず、小沢=政治と金の問題として執拗に報じ続け、その関連で、小沢1審判決で無罪が出された時も、「限りなく真っ黒に近い灰色の判決」などと、常軌を逸したキャンペーンを張った。ところが、小沢控訴審判決は、ほとんど真っ白な無罪判決であった。これについて、マスコミは沈黙した。どういう無罪かの説明はなく、1審の時の真っ黒キャンペーンについて何も反省していない。

今回の石川有罪判決について、小沢控訴審判決との矛盾を突く記事もなかった。

こうしたマスコミの姿勢に乗っかって、政治家は、小沢復権に動くわけではなく、検察の暴走を黙視するだけである。それが自らの墓穴を掘ることに気が付かないのか。いまは、検察をはじめとする捜査権力の暴走をいかに食い止めるか、法制審特別部会で検討されている刑事司法の在り方について、刑事司法の根本的な見直しを迫ることに全力を挙げるときだと思うのだが…。

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