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2013年2月

2013年2月 3日 (日)

「取調べに過度に依存した」刑事司法を温存した法制審基本構想

 先月29日まとめられた法制審特別部会の基本構想を見て、やはりと思った。この程度のものになるだろうという危惧は部会発足当初からもっていた。「取調べに過度に依存した捜査の在り方の見直し」を求めて設置されたにもかかわらず、おそまつどころか、「焼け太り」(131日付東京新聞朝刊)である。捜査権を強化する部分がはるかに多い。

 修正前の基本構想と比べると前進しているが、前があまりにも悪すぎた。マスコミの総批判を浴びて、あわてて手直しした今回の修正であるが、たいしたものではない。

 基本構想は、裁判員対象となる重大事件で身体拘束する場合をまず「原則として…全過程」可視化するという。「全過程」可視化というキーワードが入ったことは評価できるが、案の定、抜け道がちゃんと用意されている。

まず、「一定の例外的事由を定め」るとされる。これが組織犯罪に限定されるのか、何らの保証がない。「取調官の一定の裁量に委ねる」という構想まで併記されているので、どこかで捜査側の裁量の余地を最後まで残そうという意図が透けて見える。原則と例外が逆転してきた現行刑事訴訟法の運用と同じ方策を企てているのではないか、と危惧される。

 凶悪犯罪が発生し、なかなか犯人がわからず、警察が相当なプレッシャーを受けて、ついに焦って検挙するという事例を想定してみよう。過去こういう場合にえん罪が度々発生したから。

 まず任意同行で取調べることがしばしばある。取調室に任意同行して取調べるときには録音録画は約束されていない。逮捕状は出ているのに、任意という形で、取調室で、夜を徹して自白を強要して、自白してから逮捕状を執行する、という例は山ほどあった。

 あるいは、最初は参考人として取調べ、自白したら被疑者取調べに切り替えて逮捕するという実務も数多くある。参考人の取調べは可視化の対象から外されていたが、マスコミの批判により、検討することにまで修正されたが、実現する保証はない。

 さらには、別件逮捕という手段がしばしば使われる。住居侵入罪は可視化の対象とは定められていないから、まず住居侵入罪で別件逮捕し、20日の勾留期間中、毎日長時間取調べて自白を強要し、自白すれば本件の殺人罪で再逮捕するという手口である。こうして再逮捕してから可視化されるというわけだ。

 要するに、裁判員対象となる重大事件は全面可視化されるから一安心と思うかもしれないが、いざとなれば、このような抜け道を作って可視化の前に自白を強要しようとすることは目に見えている。

 実は、このような尻抜けは当初から予想されていた。「取調官の一定の裁量に委ねる」という方針が併記され、今回の取りまとめの最後まで残されたことは予想した通りである。 捜査側が受容できる範囲内での「改革」という妥協路線から取調べの可視化だけ唱えていても、必ず尻抜けにされる。取調べの可視化を先行させて、それが曲がりなりにも(中途半端にでも)実現してから他の改革課題を、という2段階路線は10年前なら一つの戦略であったかもしれないが、情勢はその当時よりはるかに進んでいる。これだけえん罪が続出して、「取調べに過度に依存した捜査の在り方の見直し」を銘打った法制審特別部会が設定されたのだから、ここで、取調べの根本に迫る見直しを本気で迫って、捜査側と正面からぶつかる必要があり、その絶好の機会であった。

「取調べに過度に依存した捜査の在り方の見直し」と銘打つ以上、取調べはどの程度にとどめるか、その適正範囲を真剣に議論すべきであるが、法制審ではそこまで詰めた議論がなされていない。可視化ばかり論じて、取調べの在り方の根本の議論を避けている。徹底して取調べてこそ真相を解明できるという発想から、徹底して取調べることによってウソの自白を引出し、えん罪を生み、結局真相が解明できなくなる、だから取調べはえん罪を生まないよう適正になされなければならないという発想に転換することが求められている。取調べを野放しに行うのではなく、適正化しなければならない。ここが対決点である。

そこで呈示する各論は、取調べの可視化だけではダメである。より基本的な各論として、取調べ時間の法的規制(日本のような長時間の取調べは諸外国にはない)、取調べへの弁護人立会いの実現を求めて、可視化とセットで本気でたたかうことである。国連拷問禁止委員会等からもこれらの実現が度々勧告されている。これで本気度が試される。

諸外国では長い刑事司法の歴史の教訓から、取調べの適正化が導かれ、弁護人の立会権が当然のこととして認められている。夜間逮捕のケースではあるが、いまだに深夜4時、5時に取調べられた例を最近私が担当した刑事事件で経験した。

基本構想は、取調べの可視化は抜け穴だらけで、取調べの時間規制は完全に欠落し、弁護人の立会権は先送りされた。「取調べに過度に依存した捜査の在り方の見直し」になっていない。「取調べに過度に依存した」現行の実務を温存したままである。

 可視化の一定の実現とのバランスをとるとして、捜査権限を強化する方策を種々導入しようというのは本末転倒である。取調べ時間を規制し、弁護人の取調べへの立会を認めることとバランスをとるならわかる。

 今からでも遅くない。取調べ時間規制、弁護人の立会、全面可視化の3点セットで、本気で巻き返すことだ。幸い、マスコミはすべて味方である(上記東京新聞記事には感銘を受けた)。世論を追い風にして、取調べの在り方の根本に迫るたたかいを本気ですることによって、結果的に3点セットのそれぞれで十分なものがとれなくても、取調べの在り方の根本の転換への道を確実に獲得することができるであろう。それは今を置いてない。

 基本構想は出直すべきである。

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