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2010年11月21日 (日)

国会議員の言葉狩りの茶番劇

柳田法務大臣の地元の支援者の集まりでの発言が問題にされている。正直な本音の発言である。ある意味では自虐的な、皮肉を込めた、受け狙いの発言でもある。

この発言を支持するわけではもちろんない。しかし、問題は国会での法務大臣の答弁のはずである。こんな官僚答弁はけしからん、もっと真摯に、自分の言葉で語れ、というのが問題の本質ではないだろうか。地元で受け狙いで言った半分ジョークが問題なのではない。

であれば、追及する野党自民党が政権をとっていたときの法務大臣たちの答弁はどうだったのか。同じく、「個別の事案には応えられない。」「法と証拠に基づいて適正にやっている。」と答えていたではないか。どこが違うのか。

違うわけがない。なぜなら、官僚のシナリオに従って法務大臣が答弁する構図は変わっていないからである。官僚任せにすれば、大臣はこのような答弁になるのは必然であるから、自民党政権時代も、管政権時代も、官僚任せは本質的には何も変わっていないということを証明したに過ぎない。

その自民党が柳田法務大臣を攻撃する資格があるのか。天に向かって唾する行為であって、笑ってしまう。

と同時に、悲しくなる。野党はこんな言葉狩りしかできないのか。本当に攻めるなら、自民党時代の法務大臣はこのような発言はこんなにはしていない、と数で証明し、しかも、その発言も真にやむを得ない場合だったと、説明すれば、真に切り結んだ対決になる。。その自信がないから、調査もしないのだろう。

仙石官房長官の「暴力装置としての自衛隊」発言も問題にされている。私たちの学生時代には普通に使われていた表現だった。つい、昔の言い回しが出たわけだが、実力装置である自衛隊に対して神経を使わなければいけないという戒めとしては間違いではない。

それを、一本とったというようにはしゃぐ自民党の質の低さにはあきれかえる。

同時に、それに対して右往左往している民主党の底の浅さにもあきれかえる。もっと毅然として対処できないのか。

国会で対決すべきはこのような次元ではない。もっと本質的なところで対決し、議論を深めるべきだ。それができないということは、両党には本質的な違いがない、言葉尻をあげつらうことしか対決できないということなのか。

たしかに、いまの民主党は、というか、管政権は、自民党と変わらない、変えようともしていないことがようやく見透かされてきた。だから支持率が低下するのは当然だ。首相になることしかビジョンがない管首相。ペーパーを見ながら中国トップと会見するというのも、相手に失礼な話である。

国会がこんな言葉狩りの場になっていいのか。国会は、表現の自由が尊重されるべき最たるところである。揚げ足取り、言葉狩りに終始するような国会は国会でない。

そのことをメディアが自覚しているのか。野党と一緒になって、言葉狩りの片棒を担いでいることに早く気がついてほしい。それはメディアにとって自殺行為である。

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