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2010年9月23日 (木)

裁判員経験者が初の交流会

9月20日の祭日に裁判員経験者らの交流会が初めて東京で開かれた。この模様は、産経新聞がカラー写真入りで大きく報道したのをはじめ、各紙報じた。

この集いの主催者は市民グループ「裁判員経験者ネットワーク」で、弁護士会で裁判員関係の委員会に属して活動している弁護士や臨床心理士などが中心である。元最高裁判事の浜田邦夫弁護士ら数人の弁護士たちの1人として、私も呼びかけ人に名前を連ねており、参加した。

これまで裁判員経験者同士が集まる場は全くなかった。「裁判員」というネーミングの生みの親の松尾浩也東大名誉教授が、「裁判は『お上』の仕事だとして敬遠していた古い日本は変わろうとしている。裁判員制度は日本の文化になりつつあるように思われる。経験者の方々が交流し、その貴重な経験を語り伝えて下さることは、新たな『文化』の形成に寄与するに違いない。」とのメッセージを寄せて下さった。

裁判員経験者の生の声は大変に興味深かった。

「裁判所は、裁判員を務めている間は大事にしてくれるが、終わったら『はい、さよなら』でがっかりした。」という言葉はいかにも実感がこもっている。「一所懸命やったのに、控訴されたことを知らされないのは、おかしい」といった不満があるのだ。

「同じ体験をした裁判員は『戦友』のようなもの。また会って語りたい。」というのが本音のようだ。

この日の交流会で、、「裁判が終わった後、被告人がどうなるか、気になって仕方がなかった。その思いが自分だけでないと今日わかって、安心した。出所後、更正をきちんと果すまでが裁判だという感覚をみんなもっている。」という感想を漏らされたのが印象的であった。

裁判員制度については、「被告人の人生について考えることによって、人生を2倍、3倍生きられる。」「目から鱗のように、人生の見方が広がる」「今まででの人生経験ではできなかったことであり、自分が変わった」などと、その意義を高く評価していた。

出席していた四宮啓弁護士は、この1年間の裁判員裁判の感想として、「刑事裁判が革命的に変わった。刑事裁判官の意識が、ルールと証拠に基づいた裁判へと、大きく変わった。日本の社会に与えた影響も大きい。社会のことを人々が考えるようになった。海外も、新しい国民とプロとの協同の実験として、米、豪などで注目されている。中国、韓国、台湾などのアジアも注目している。」と語った。

ダニエル・フットさんら学者、マスコミ人、裁判員経験者、弁護士たちが2次会にもたくさん集まり、いつの間にか私が司会をする羽目になったが、最後まで大変盛り上がった有意義な一日であった。

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