せいぜい不起訴不当までかと思われていた検察審査会が、小沢幹事長起訴相当(11人中8人以上の賛成が必要)と議決した。
その内容は、「偽装工作」といった激しい非難であった。ここまで言うか、と思うほどの論調であった。
小沢氏自ら書類に署名したなど、小沢氏本人の実行行為が認定されているところが、鳩山首相との違いである。
鳩山首相には、実行行為を認定する証拠がなく、法律要件も欠き、不起訴相当となった。
翻って、明石歩道橋事故とJR西日本の福知山線脱線事故については、起訴相当の結論が2回出されて強制起訴となったが、これらは事実関係については争いがなく、組織トップの過失責任を問うかどうかが争点であった。現場責任者に任せていたから、自分は知らなかったで、通用するのか、それでトップの責任が問われなければ、いつまでたっても、このような事故は繰り返されるのではないか、という市民感覚に基づく結論であったと思う。
小沢幹事長については、4億円もの不動産に絡む事件で、本人の実行行為もあるのだから本人の関与は当然認められるという市民感覚に基づく議決である。
では、プロ(検察)が不起訴とした判断を、ひっくり返した検察審査会の議決は妥当か。
組織トップの無策(不作為)による過失責任を問うのは、市民的な新たな問題提起である。それが権力組織や公共的な大組織に対するものであり、かつ、市民の生命と安全に関わる重大な事故である限り、そのトップを問責しても、今後の一般的な民間の事故責任への濫用の恐れは少なく、十分検討に値する。むしろ、このような場合は、積極的に起訴する方が望ましいともいえる。検審は新たな視点を私たちに提供してくれた。
小沢起訴相当についても、事実認定の常識的な感覚であろう。
プロではできない判断をした検察審査会は健全で、有効に機能していると思う。
これらの検察審査会の議決が、起訴基準を従来よりも緩くしたという見方は、妥当ではないと思う。
ただ、小沢問題はそれにとどまらない。そもそも特捜の立件が適切だったのか。立件されれば起訴相当となるにも関わらず、自民党議員に対しては立件しないで、民主党などの以前の野党議員には厳しく対処してきた検察の体質がその根底に横たわっているからである。どうしても不公平感がぬぐえない。
検察審査会が起訴相当との結論を出したのは妥当であるが、だからといって、小沢の刑事責任を追及しろ、と言うことが、どうしても検察の思惑に乗せられているようで、民主党つぶしに加担するようで、躊躇するのである。
別に、民主党を応援しているわけではない。今回の政権交代が日本の歴史上、国民がはじめて作り替えた政権として、国民主権が実質的に機能したはじめての国政選挙として、画期的な、ある意味で、革命的なものであると高く評価しているだけに、よちよち歩きの新政権をこれでつぶしてはいけない、という思いがあるのである。
いや、鳩山政権の、普天間問題や高速道路料金などでの混迷振りを見ていると、いつまでも小鳩に任せる必要もないとは思う。だが、あの自公政権時代に逆戻りすることだけは勘弁してほしい。
官僚におんぶに抱っこの時代から、ようやく脱却して、国民主権の政治を実現しようというベクトルが出てきたこの時代に、ベクトルを元に戻してはならない。
行政をチェックする議会と司法が真に機能する民主主義(三権分立)の時代を迎え始めているのである(このときに、議員定数を削減して行政に対する力を削ぐ民主党の政策はナンセンスな逆行であるが)。
マスコミにはこの全体像を把握して、歴史的視野で状況を分析してほしい。
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