« 2009年11月 | トップページ | 2010年2月 »

2009年12月

2009年12月26日 (土)

天皇の政治利用か

日本国憲法4条は、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない。」と定める。

「この憲法の定める国事に関する行為」とは、総理大臣、最高裁長官の任命(憲法6条)のほかに、憲法7条に10項目の国事行為を規程する。この中には、国会召集(2号)、衆議院の解散(3号)など、きわめて政治性の強い行為が含まれている。だからこそ、「内閣の助言と承認」が必要とされ、「国政に関する権能」は内閣にあり、天皇はあくまでも形式的な行為にとどまるとされる。

今回問題となっている外国高官との接受は、憲法7条10号の「儀式を行うこと」に該当、若しくは準ずるという説もあるが、従来の通説は、憲法の定める国事行為には当たらない「天皇の公的行為」とされる。それは、私的行為ではなく、象徴としての地位に基づく公的行為であるとされるが、あくまでも形式的儀礼的なものであり、いずれにしろ、内閣のコントロール下に置かれる。憲法の定める国事行為に比べると、その政治的色彩は一般的には弱いといえよう。

ただ、憲法の定める国事行為であろうと、それ以外の公的行為であろうと、政治的色彩があることは否定できず、だからこそ、その政治責任は内閣がすべて負うわけである。これをもって、天皇の政治利用というのはおかしい。

天皇の行為に政治的色彩があるか否かが問題ではなく、それを決定した内閣の政治責任が問題となるのである。

つまり、外国高官の接受そのものにもともと政治的色彩があるのであり、中国の高官とは会ったが、小国とは会わないという政治判断(内閣の判断)はあり得るのであり、そのことが天皇の政治利用であると非難されるいわれはないだろう。

1ヶ月ルールに反したか否かの点については、その内規なるものを見ていないのでわからないが、「2004年以降は…ルールを厳格に守ってきた」(産経ニュース)との報道を裏目読みすれば、それまでは守らなかった場合もあるということになり、原則と例外という柔軟な運用が過去にはなされていたのではないかとも窺える。ルールそのものに抜け道があったのかもしれないわけで、そうであれば、ルール違反というよりも、やはり政治責任の問題であろう。

問題はそこから先である。

今回は、政府が一旦ルールに反すると言って会見を拒否したにもかかわらず、中国のごり押しにあって、方針を変更したのである。小澤幹事長ら大量の訪中団出発を控えていたという背景もあったのであろうが、中国側の巻き返しに抵抗できず、方針を変更した内閣の政治判断が非難されることはあり得る。

では、天皇の政治利用とは、どういう場合のことをいうのか。

最も問題なのは、天皇が形式的儀礼的な枠を超えて、政治的発言・行為をする場合であり、それが内閣のコントロール下で行われれば、天皇の政治利用の最たる場合といえる。

また、天皇の公的行為が形式的儀礼的な枠にとどまっていても、それを決定した内閣の政治判断が恣意的なものであれば、天皇の政治利用といえよう。

通常問題となるのは、このような場合であろうが、内閣の政治決定が公正か、恣意的かの判断はなかなかむずかしい。

今回の場合、内閣が自ら進んで1ヶ月ルールに反してでも決定したのであればともかく、中国の巻き返しに屈した形で翻弄されたことが、恣意的とされれば、天皇の政治利用といわれても仕方がないであろう。

|

2009年12月13日 (日)

目的と手段 仕分け人枝野議員の話

先日、枝野議員の話を聞く機会があった。事業仕分け人の元締め(議員チーム総括)としての苦労話は大変興味深かった。

枝野議員が強調されたキーワードが「目的と手段」。

―事業仕分けの俎板に上がった項目は、その「目的」が悪い、と言っているのではない。その目的に見合う金の使い方が合理的か、「中抜き」や「ピンハネ」がないか、天下りに無駄に使われていないか、その「手段」をチェックするのが事業仕分け。「目的」について検討するのは、政治の課題であり、国家戦略室などが扱う。これに対して役人が「目的」をいくら論じても、何の反論にもならない―とのこと。

なるほど、と思った。話はさらに展開する。

―これまで、役人は、自民党議員に「目的」を説明して、終わっていた。それにどのくらいの金がかかるかは、ドンブリ勘定。政治家は何もわかっていない。財務省と対象官庁との予算折衝は、前年度がこうだからというレベルの話。要するに、中身に切り込めていないー

メモを取っていないので、正確ではないが、このような趣旨の話だったように思う。

国民の貴重な税金がこのような形でスルーで使われている。これが官僚政治といわれる実態であり、まさに前近代社会なのだ。

いま、普天間基地問題で揺れているが、日米密約の原因となった思いやり予算なども、アメリカの言うなりに金額が決められたと新聞報道で暴露されているから、やはり、ドンブリ勘定だったのだ。日本の自民党政治はそこには踏み込めず、アメリカの言いなりだったのだ。

「目的」がよければ後はお任せ、という官僚政治から決別し、政治家が「手段」もきちんとチェックして、さらには、「目的」についても根本から検討することを新政権に期待したい。

同時に、「アメリカが言うから」ではなく、どうしてこの基地が要るのか、平和を守るという「目的」のためにその「手段」はこれでいいのか、納得のいく答を見つけるために、根本から検討することを新政権に期待したいが、果たして、どこまでできるだろうか。

| | トラックバック (0)

« 2009年11月 | トップページ | 2010年2月 »