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2009年8月

2009年8月15日 (土)

比例区削減で官僚支配を打破できるのか 民主党の最大の矛盾

民主党のマニュフェストに衆議院比例区議員定数の削減が掲げられている。

えっ、と思った。この党は「官僚支配の打破」をメインスローガンにしているのではなかったのか。官僚=行政権力を抑えるためには、立法権力が相対的に強くなければならないはずである。

三権分立とは、立法、行政、司法の権力を均衡・抑制(チェック&バランス)して鼎立させることをいう。

歴史的に見ても、行政権力の肥大化を抑えるために、立法権力=議会制民主主義が発展してきた。

米国では、行政権力の肥大化に対抗して、執行作用の一部を行政府から分離し、その責任は国会が補完するという発想から、独立行政委員会という第三者機関を生み出した(駒村圭吾「権力分立の諸相ーアメリカにおける独立機関問題と抑制・均衡の法理」南窓社)。第三者機関は、本来、行政権力からの独立性を本質とする。日本の公正取引委員会、中央労働委員会、公害等調整委員会などがそうである。

日本国憲法には、「国会は、国権の最高機関」(41条)と明記してある。その国会の議員定数を減らして、どうして行政をチェックできるのか。国会議員が減れば、官僚の上にますます乗っかるしかない。

官僚支配を打破するためには、相対的に、立法府=国会を質量共に充実させなければならないのに、なぜ、議員定数を減らそうとするのか。民主党の公約の最大の矛盾であろう。

自民党も、同じように議員定数削減を公約しているが、この党はもとから官僚組織に乗っかって成り立ち、党の公約も官僚が作文しているというから、官僚組織を強める議員定数削減は党にとって矛盾する話ではない。

ところで、定数削減の対象は、比例区だという。

比例代表制は、国民の政治参加を最大化するものである。合意形成的民主主義である。これに対して、小選挙区制は、多数決民主主義であり、勝者がすべてを独占する。合意形成的民主主義は、できる限り多くの観点を考慮に入れる。権力を共有し、拡散し、抑制するものであり、政治的ポピュリズムの影響を受けにくい。

その比例区定数を削減するというのだ。財政支出の削減をこんなチマチマしたところに求めて、日本の議会制民主主義を弱体化させてはならない。

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2009年8月 9日 (日)

裁判員裁判で示される量刑相場

今日の朝日新聞に、裁判員裁判経験者の男性(61才)の、判決2日後の感想が載っていた。

審理を通じて刑事裁判に対する見方が変わり、「今までは犯人が憎い、厳罰も、と考えたが、必死に生きている中での不幸な結果が事件になることもある。…酒を飲んで問題を起こしてしまう孤独な老人を、共同体の中でどう受け止めるのか」という社会問題として考えをめぐらせたという。

犯罪を社会の問題として、共同体の問題として受け止める、そして、刑を終えたあとにどのように社会に受容れていくか、という視点を共有することが大事である。

ところで、この男性は、裁判所から示された量刑相場についてはあまり参考にしなかったが、求刑意見は参考にしたとして、「弁護側が何年で妥当と思うかも、参考として知りたかった」と述べている。実は、私も、同じ感想をもっていた。

量刑相場(データ)は、評議室にそれを見せる装置があり、評議の場で必ず示されると思った方がいい。私は、データを参考として示すこと自体は、全国的な公平さという意味でもいいと思う。問題はその示し方である。

今回の裁判がどうであったか、マスコミ報道ではわからないが、データを評議の場でいきなり示すのではなくて、公判前整理手続の場で検察、弁護双方に示しておき、その客観性を担保しておくべきだと思う。

そして、弁護側も、最終弁論で、ただ「軽くして」というだけでなく、量刑相場についての意見を述べて、「それでも(あるいは、そうだから)本件の場合は、懲役○年が相当である。」との意見を述べた方が良かったのではないかと思う。

今後、裁判員裁判で、おそらく、かなりの事件が無罪を争うのではなく、情状が争われるであろうから、大多数はこのような形で量刑相場に積極的に関わる方がいいように思われる。

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2009年8月 8日 (土)

裁判員裁判 予想以上の好スタート

 裁判員裁判第1号事件が連日メディアで大きく報道された。

この事件の2人の弁護人も被害者代理人弁護士も私と同じ第二東京弁護士会の会員で、よく知っているので、はらはらしながらも、頑張れ、と応援していた。実際、彼らの活躍はマスコミ対応を含めて予想通りよく頑張った。

では、何が予想を超えていたかというと、判決後の記者会見である。補充裁判員を含めて全員が記者会見に応じたことが素晴らしい前例を作ってくれたと、感謝感激である。しかも、皆さん、自分の言葉で率直に語っており、かつ、やってみてやってよかった、気持が変わった、といった前向きな発言であった。その感想も具体的で、評議の雰囲気もわかった。

また、裁判員全員が法廷で質問し、その質問内容が的を得て、かつ、市民ならではの日常感覚に基づいていたことである。失礼ながら、出来過ぎだとさえ思ったくらいである。そのまま裁判員映画になってもおかしくない。

さらに予想を超えていたのは、補充裁判員の登場である。これは風邪のための交替というハプニングではあるが、補充裁判員というのが何のために要るのか、私たちも含めて実感したといえよう。最後まで補充裁判員のままであった方の記者会見もよかった。勉強になったという前向きの発言であった。

判決をみると、裁判員たちが、量刑相場を参考にしながらも、それにとらわれずに自分たちの頭で考えたように思われる。

相場から見ると、少し重いかなといわれるが、裁判員の1人が記者会見で、「刑期の長さはは正解がない。」と述べたように、時代と共に、また、地域によって異なる。

ヨーロッパに死刑はなく、フィンランドでは、無期刑が13~14年で仮釈放になるのが通常という。日本では、30年以上経たないと認められないのが今の実態であり、また認められるケースはわずかである。刑務所の中で死ぬ人の方が多い。つまり、事実上の終身刑に近い状態になっている。フィンランドの有期刑の最長は12年、2件以上の犯罪が合わさると15年という。スペインには、無期刑もなく、最も重い刑が有期刑20年で、複数刑などでどんなに加重されても40年までという。

日本でも、裁判員をはじめ国民が、仮釈放は満期寸前に認められるケースが大半であるという実態や、刑務所の実態、死刑の実態などを知る中で、刑のあり方について、よく考える環境ができるようになれば、変わってくるであろう。プロの裁判官たちが、量刑相場にとらわれて、しかも重罰化の世論に流されて来た昨今をみると、それよりも、当面は、刑の軽重についてジグザグがあっても、国民が法というものを、刑罰というものを良く学び、考える環境ができることによって、世論全体が変わっていくことを期待したい。

そのためには、マスコミにも期待したい。マスコミが一方的な報道をしないで、被告人の立場も公平に取上げ、複眼的な見方に立脚して報道するようになれば、世論も変わってくるだろう。今回の報道はその先陣を切ったと評価できる。冷静かつ建設的な報道であった。

裁判員裁判は、出来過ぎともいえる好スタートを切った。

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