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2009年5月 6日 (水)

ゲルニカを訪ねて

4月26日はゲルニカが空爆された日だ。それはスペイン内戦の時代1937年。ピカソの絵で有名であるが、世界史上、最初の無差別爆撃がこのゲルニカであり、それから、ドレスデン、重慶空爆、東京大空襲、広島、長崎への原爆投下と続いたとも言われている。

1931年に成立したスペイン第二共和制に対してフランコらが反乱軍を率いて内戦が1936年に開始され、共和国政府軍と反乱軍の間で戦われた市民戦争は、1939年反乱軍の勝利で終結した。その後、1975年フランコ死亡まで、フランコ独裁体制が続いた。

ゲルニカは、バスク地方の中心都市ビルバオから車で1時間ほど北に行った海の近くにある。ナチスドイツ、イタリアの協力を得た反乱軍により、無差別爆撃されたゲルニカの当時の人口6000人。そのうち、2000人が爆撃で死傷したという。

フランコ独裁体制が崩壊したあと、毎年この日に追悼記念式典が開かれている。今年、私は式典に参加した。

ゲーリークーパー、イングリッド・バーグマン主演映画「誰がために鐘が鳴る」(ヘミングウェイ原作)を見て、ジョージ・オーエルの「カタロニア賛歌」を読むなどして、以前からスペイン人民戦線に関心があったからだ。20年前にバルセロナに1週間滞在して、「カタロニア賛歌」にたびたび登場するランブラス通りをぶらぶらと歩いたことを思い出す。数年前には、スペインの片田舎を舞台に内乱の影を描いた佳作「蝶の舌」が日本でも上映された。

ゲルニカの墓地で開かれた式典には、300~400人位参加していただろうか。テントの中にぎっしりと集まった。そこでイギリスから来た韓国人の留学生とも知り合った。「何回目か」と聞かれたので、「初めて来た」と答えたが、そうすると、世界からこの式典のために毎年来る人たちがいるのだろう。聖歌隊の合唱がきれいなハーモニーを醸し出す中で、次々と遺族、スペイン政府代表者、バスク州代表者たちが献花する。注目すべきは、ドイツ政府が正式に代表を派遣して、献花していたことだ。ドイツ政府はゲルニカ爆撃を正式に謝罪していた。それから毎年献花に来ているのだろう。

2007年12月、「歴史の記憶に関する法律」が制定された。スペイン市民戦争とフランコ独裁体制の時代に科された制裁、刑罰が違法であることを宣言し、犠牲者・遺族の権利を認め拡大し、補償し、個人及び家族の記憶の回復を促進し、その歴史情報を収集、保存するための法律である。

ゲルニカにあるゲルニカ平和記念館は、「歴史を忘れない。報復と怨嗟を忘れる。赦す。和解こそ平和への道である。」ことを強調している。

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