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2009年5月

2009年5月20日 (水)

裁判員法施行を迎えて~運用上実現すべきこと

いよいよ明日裁判員法が施行される。施行に当たって、次のことは是非運用上実現されたい。

1)公判前整理手続の公開について
 公判前整理手続は非公開とされるが、法律上明文はない。これは、非公開でもいいという程度の意味であって、公開にしてはいけない、違法であるという趣旨ではない。

 むしろ、逆に、要請があれば公開にするのが憲法上の「裁判公開の原則」に沿う。韓国の陪審制では原則公開とされている。
 せめて、親族、支援者などの傍聴は要請があれば許されるべきである(民事訴訟法訴1692項 弁論準備手続において、「申し出による傍聴を支障なき限り許さなければならない」との規定が参考になる)。                   

2)説示

 裁判長の説示が弁護人に開示されるべきである。適切な説示か否かを弁護人がチェックする必要があるからである。

  アメリカでは、審理の最初と最後に公開法廷で陪審員に必ず説示している。
関連して、弁護側が、刑事裁判の推定無罪原則などについて言及することがあるのは当然であり、冒頭陳述を含めて制限されるいわれはない。

3)評議の中で、公判記録(速記録)が活用されるべきである。

4)死刑を評決する場合は、全員一致、少なくとも3分の2の特別多数になるまで、とりわけ慎重に評議するように努めるべきである。

5)守秘義務

 「感想」を述べるのはいいと最高裁も言明している。判決後の裁判員の記者会見に積極的に対応するように勧めてほしい。
 では、裁判員であった者の守秘義務の範囲はどこまでか。前回(5月10日)のブログに書いたが、付言すると…
 「利益を得る目的」(裁判員法10823号)の場合は論外であるが、❶裁判員、裁判官の具体的な名前を出してその意見内容と評決結果を知らせる(同項2号)❷プライバシーに関わる事項(同項1号)以外は、自由に感想を述べられるような運用、解釈とすべきである。もっとも、❸多少の数(同項2号)❹判決の当否(同条6項)についても、守秘義務の範囲をすることは、あまりにも明文がストレートなのでやむを得ないかもしれないが。

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2009年5月10日 (日)

裁判員制度の守秘義務はどこまでか

5月6日付日経新聞で、最高裁・小川刑事局長は、「感想についてはどんどん語っていただければいい。多くの方に伝われば、制度の定着に有意義」と語る。

5月3日朝日新聞で、但木・元検事総長は、「評議の具体的なやりとりを話してはいけない『守秘義務』はありますが、実際に刑事罰が科せられるのは極端な場合に限られると思います。私はむしろ、評議で自分が考えたことや感じたことなど、経験を大いに伝えてもらえるよう期待しています。」と語る。

これまで同様の規定のある検察審査会で守秘義務違反が問題になった例は聞かないし、調停や証人の出頭義務違反が問われた例も聞かない。

裁判員の守秘義務違反も、同様に、実際には問題にされることはまずないだろう、というのが法律家の常識的な見方であろう。

ここにきてようやく、元検事総長の「実際に刑事罰が科せられるのは極端な場合に限られると思います。」との談話が出た。これはきわめて重い言葉だ。

最高裁も、以前から、感想はどんどん言っていい、と話しており、私も直接、最高裁事務総局の方から聞いた。制度定着のためにはむしろ必要なことだ、とまで語っていた。同じことを、いまや、堂々と新聞にも載せるようになったのだ。さらに、最高裁は、判決後の裁判員の記者会見にも協力的だ。

では、どこまでが守秘義務の対象となるのか。

プライバシーに関わることと、特定の誰が何を言ったか、どんな結論を出したか、と他人の名前を特定して具体的に暴露することくらいで、あとは、評議の感想として、自由に語るべきではないか、それが特に問題とされずに通用するようにしていくべきではないか、と思う。

制度を定着させ、改善するためにはどうしても必要なことであり、弁護士、弁護士会はその方向が強まるように意識的に活動することが、制度発足当初から求められていると思う。

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2009年5月 6日 (水)

ゲルニカを訪ねて

4月26日はゲルニカが空爆された日だ。それはスペイン内戦の時代1937年。ピカソの絵で有名であるが、世界史上、最初の無差別爆撃がこのゲルニカであり、それから、ドレスデン、重慶空爆、東京大空襲、広島、長崎への原爆投下と続いたとも言われている。

1931年に成立したスペイン第二共和制に対してフランコらが反乱軍を率いて内戦が1936年に開始され、共和国政府軍と反乱軍の間で戦われた市民戦争は、1939年反乱軍の勝利で終結した。その後、1975年フランコ死亡まで、フランコ独裁体制が続いた。

ゲルニカは、バスク地方の中心都市ビルバオから車で1時間ほど北に行った海の近くにある。ナチスドイツ、イタリアの協力を得た反乱軍により、無差別爆撃されたゲルニカの当時の人口6000人。そのうち、2000人が爆撃で死傷したという。

フランコ独裁体制が崩壊したあと、毎年この日に追悼記念式典が開かれている。今年、私は式典に参加した。

ゲーリークーパー、イングリッド・バーグマン主演映画「誰がために鐘が鳴る」(ヘミングウェイ原作)を見て、ジョージ・オーエルの「カタロニア賛歌」を読むなどして、以前からスペイン人民戦線に関心があったからだ。20年前にバルセロナに1週間滞在して、「カタロニア賛歌」にたびたび登場するランブラス通りをぶらぶらと歩いたことを思い出す。数年前には、スペインの片田舎を舞台に内乱の影を描いた佳作「蝶の舌」が日本でも上映された。

ゲルニカの墓地で開かれた式典には、300~400人位参加していただろうか。テントの中にぎっしりと集まった。そこでイギリスから来た韓国人の留学生とも知り合った。「何回目か」と聞かれたので、「初めて来た」と答えたが、そうすると、世界からこの式典のために毎年来る人たちがいるのだろう。聖歌隊の合唱がきれいなハーモニーを醸し出す中で、次々と遺族、スペイン政府代表者、バスク州代表者たちが献花する。注目すべきは、ドイツ政府が正式に代表を派遣して、献花していたことだ。ドイツ政府はゲルニカ爆撃を正式に謝罪していた。それから毎年献花に来ているのだろう。

2007年12月、「歴史の記憶に関する法律」が制定された。スペイン市民戦争とフランコ独裁体制の時代に科された制裁、刑罰が違法であることを宣言し、犠牲者・遺族の権利を認め拡大し、補償し、個人及び家族の記憶の回復を促進し、その歴史情報を収集、保存するための法律である。

ゲルニカにあるゲルニカ平和記念館は、「歴史を忘れない。報復と怨嗟を忘れる。赦す。和解こそ平和への道である。」ことを強調している。

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