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2008年12月

2008年12月31日 (水)

終わりのおわりに

自民党政権が来年は終わりになるという噂がもっぱらである。終わりのはじまりではなく、終わりのおわりになるという。

そこで、いかにうまく生き残るか、懸命に生き残り策を探っているのがいまの状況であるという。

生き残るということは、自民党はなくなっても、国会議員としては残るということである。

議員にとって、自民党はどうでもいい、議員として生き残り、何とか政権党を構成すればいいのである。

権力の一角にある者にとって、最大の関心事は、権力を維持すること、さらにそれを拡大することにある。理念とか、価値観とかは二の次である。

これは政治家に限らない。役人然り。裁判官も然り、といって過言ではないだろう。最大の関心事が出世である。別に非難しているのではない。人間というのは、権力の一角に位置するとそうなるものだという自覚をもってほしいのだ。

だから、出世のためには、推定有罪とする方が無難なのだ。だからこそ、出世とは縁のない裁判員による推定無罪の実現を期待するのだ。

話を元に戻すと、マックス・ウェーバーは、「政治を行う者は、理想的であれ、利己的であれ、何らかほかの目的に奉仕するための手段として権力を求めるか、『権力それ自体のために』権力を欲するものである」(『職業としての政治』)と言うが、自民党議員には後者が多く、特に世襲議員において然りであろう。

自民党の終わりのはじまりは、1993年の細川政権誕生のときだったかもしれない。自民党が初めて野党になった。しかしこのとき細川政権は、「自民党政治の承継」を唱えて政権を構成した。だから何も変わらなかった。もともとは自民党という人たちが、自民党政治の承継を唱えて、自民党政治が変わるわけがない。

次の自民党の終わりのはじまりは、小泉政権誕生のときだったかもしれない。このときは小泉首相は自民党をぶっ壊すと称して、政権をとった。そして郵政選挙で自民党が圧勝した。

つまり、自民党と異なる政党になっても、自民党を壊すとか、変えるとか称しても、従来の議員たちが引き続き権力政党を構成すれば何も変わらないことになるであろう。

今度こそ、どのような政治理念で、どのような議員たちが権力を構成するのか。建前ではなく、真に政治理念で結集してほしい。

裁判官には、憲法、近代刑事司法の理念で裁判をしてほしい。裁判員制度がその契機となることを期待する。

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2008年12月27日 (土)

警察庁の監督制度で問題事例15件

 取調べの適正化のために9月から試験的に始まった警察庁の監督制度は、3ヵ月半の間に15件の問題事例が認められたと発表された。15件が多いのか、少ないのか。

 そもそもこの制度は、鹿児島県志布志事件、富山県強姦冤罪事件と、立て続けに無罪判決が出されたことがきっかけとなってできたのであるが、全取調べを録画すべきであるという世論の批判をかわすための小手先の制度である。

 署長の事前の承認がない深夜の取調べや8時間を超える取調べはダメ、といっても、署長の承認さえあればOKなのだから、もともとしり抜けである。狭い密室(日本は台湾などと比べても極端に狭い)で連日8時間以上も取調べを続けること自体が人権侵害であり、自白の強要であり、信じられないというのが国際社会の感覚である。だから、国連国際人権規約委員会は、この10月、日本政府に対して取調べの可視化を勧告した。

 任意の取調べであるのに、帰ろうとした容疑者の両腕をつかんで強引にいすに座らせた例があったというが、任意捜査という名の事実上の強制捜査はいつものことであり、またか、という思いである。志布志事件、矢上事件(前回の「川辺川ダム休止」で紹介)では、関係者が任意という名の下で、12時間以上、14時間も取調べられ、その間、水も茶も与えられず、休憩も全くなかったケースがある。詳しくは、ブックレット「えん罪志布志事件 つくられる自白」(日弁連編、現代人文社)、DVD日弁連製作ドキュメント映画「つくられる自白~志布志の悲劇」(新日本映画社販売FAX03-3496-2791)をご覧下さい。

 取調べ室でカツ丼を食べさせ利益誘導するというのも常套手段であるが、今回も、コーラやチョコレートを与えた例が報告されている。

 また、机を取り払って女性容疑者と2日間にわたってひざ詰めで取調べたというとんでもない事例まで報告されている。

 警察庁は、いずれも供述の任意性に問題がなかったとして、口頭の注意にとどまっているというが、いかにも甘い処理である。

 警察の内部だけの制度ではこのように甘くなるのは必然であろう。

 全国の都道府県に、留置施設視察委員会という第三者機関がある。少なくとも、留置業務に絡む深夜、長時間の取調べについては、この委員会が問題事例(8件ある)としてあげられた現場を徹底的に調査すべきであろう。

 裁判員裁判になれば、「供述の任意性に問題がなかった」などといってすまされるか、市民の感覚と常識に問いたい。

 そろそろ警察はこのような取調べのパターンを見直したらどうか。

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2008年12月21日 (日)

川辺川ダム休止

「川辺川ダム休止」の大見出しが昨日の夕刊紙のトップを飾った。「知事反対で事業費盛られず」との小見出しが続く。昨日内示された来年度予算の財務省原案で、ダム本体の建設を前提とした事業費が一切盛り込まれなかったのだ。

私は、今年2月、第二東京弁護士会環境保全委員会委員長として、熊本県弁護士会の委員会との合同の川辺川ダム調査に参加した。

実は、昨年5月にも法律家団体の調査に参加していた。

五木の子守唄で有名な五木村が、丸ごと移転し(1軒だけは残っているが)、いまや、個性のない同じような新築住宅が並んでいる。この村人たちの生活再建費は認められたようだが、実際にどのように具体化されるのだろうか。

ダム予定地はその隣の相良村にある。1966年に計画が浮上してから、40年を超える。長い長い、推進派と反対派のたたかいの歴史がある。

その相良村に矢上さんという若い村長が登場したのが2001年11月のことだった。矢上さんは、村長として、ダム反対を果敢に打ち出した。地元の村長の毅然とした行動で流れが変わった。

ところが、その矢上村長が2005年1月、現職のまま逮捕された。贈賄の共謀共同正犯という罪名だった。その3年前の村議会での助役選任決議に絡んで、有力議員たちが他の議員数名に10万円の賄賂を渡したということで、その事前の話し合いに村長も居たことにされたのだ。

物的証拠は何もないままに、村長は否認を貫いたために11ヶ月間も勾留された。

真相は、議員の研修旅行に餞別として有力者が議員に1~3万円程度渡す慣習があり、そのときも3万円が数人の議員に渡された事実が利用されたのであった。

しかし、関係者の自白調書がとられ、公判でも、早く保釈されたい、早く終わりたいという思いから、自白を撤回しなかったために、関係者の有罪判決が出され、控訴もしないですぐ確定した者もいた。任意取調べという名の強制的取調べから始まる自白の強要は、近くの鹿児島県志布志事件と全く同じ構図であった。

熊本地裁には刑事部がひとつしかない。同じ裁判長が関係者の事件で有罪にして、一貫して否認している矢上さんの事件で無罪にすることは事実上困難であろう。矢上さんは、執行猶予付きの有罪判決を受けた。

私は、昨年5月の調査で、矢上村長と知り合い、すっかり意気投合し、控訴審に弁護人の一人として参加することになった。それから半年余、熊本、福岡通いが続いた。

福岡高裁では、証人申請はすべて却下され、被告人質問も当初30分のみ、しかも質問項目を限定されたが、さらにもう1回1時間の時間を確保したのが精一杯だった。福岡高裁は控訴棄却、現在、最高裁に係属している。ちなみに、私は、今秋ジュネーブの国連国際人権規約委員会への行き帰りの飛行機の中やホテル、国連内のカフェーなど、合い間を見て、上告趣意書(その2)の起案に明け暮れ、帰国後まもなく提出した。

ところで、矢上さんは、勾留中、2期目の選挙を迎え、獄中立候補して見事当選した。刑事事件の被告人でありながら、地元村民は矢上さんを信頼している証であった。福岡高裁にも毎回遠くから大挙して来られ、傍聴席を満杯にして応援してくれた。

矢上さんは、今年春、相良村村長を辞し、熊本県知事選挙に立候補し、川辺川ダム反対を正面から掲げてたたかった。選挙は残念ながら落選したが、五木村、相良村、隣の人吉市ではトップの票を獲得した。

当選した今の知事は、川辺川ダム問題は半年以内に結論を出すと公約していた。そして、出した結論がダム反対。そこで、冒頭の財務省原案となったのである。

詳しくは、私の事務所のHPご参照を。矢上事件弁護団の座談会にリンクしている。

http://www.ver-law.ne.jp/topic/topic_enzai_yagami.htm

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2008年12月18日 (木)

広島高裁女児殺害事件判決 無期破棄差戻し 

ペルー人の被告人に対する先週の広島高裁判決は妥当であったと思う。

1審の公判前整理手続が問題であった。

裁判員制度をにらんで、早ければいいという誤解がある。

公判は集中審理でなるべく早くというのはわかるが、

第1回期日前の公判前整理手続はじっくりやる必要がある。

検察官調書を証拠採用しなかったのはどうしてか。

それに、ペルーから取り寄せた刑事記録は、1審では、公判前整理手続に間に合わなかったので、証拠採用されなかった。

「やむをえない事由」として、その後でも証拠採用して良かったのではないか。

制度が始まるときはジグザグがあるのは付きものではあるが、

裁判員制度を控えて、調書裁判から公判中心主義にという転換は全く正しいのだが、

重要な証拠まで却下するのはいかがか。

現場の裁判官が、調書はダメということで、すべての調書を却下するケースがある。

それでいいケースとそうでないケースがある。

全体としては、調書ダメ路線は歓迎すべきだ。

しかし、この事件とは関係ないが、

鑑定書を証拠採用しないで、鑑定証人の尋問で公判廷は終わらせようするのはいいが、公判前整理手続でも鑑定書はいらないというのは疑問がある。

専門家の医師の鑑定はやはり書面できちんと展開すべきであろう。

その鑑定書を公判前整理手続で開示し、場合によっては複数の鑑定書を比較して、争点を明確にしてから、公判を始めるべきだろう。

公判前整理手続で徹底的に揉んで、そのために、1年かかってもいい。

最高裁事務総局も、公判前整理手続は1年以上かかっていいと言っている。

公判前整理手続はじっくりやって、公判廷では、迅速にすべきであろう。

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2008年12月 8日 (月)

裁判員制度のNHK特集

 12月6日土曜日夜の特集は、裁判員候補者名簿が作成され、該当者に通知された直後というタイミングで、さすがNHKならではというものであったが、出演者が多すぎて、深まりがなかった。手前味噌になるが、私が6月に出演した「朝まで生テレビ」の方が、よく絡み合っていたと思う。あれだけ出演者が多ければ仕方がないとは思う。

 興味深かったのは、裁判員制度反対の人たちも多くが、裁判員制度が市民の司法参加という点では意義あることと評価していたことである。

 土本さんが、「市民に有罪か無罪かを判断させるのは反対だが、量刑を決めるのは賛成」と発言したのに対して、四宮弁護士が、「それは逆だ」と対応した。陪審論者からみれば、当然の対応だし、私も以前はそう答えたかもしれない。でも、模擬裁判を経験してみて、裁判員が評議で真剣に悩む様子を見て(模擬だから、評議が見える)、裁判員が量刑も判断することもいいのではないかとますます思うようになった。量刑相場を参考にしながら、個別に判断すればいい。

 その際、刑を長くすればするほどいいのか、そうすればより社会復帰が困難になる、無期懲役の仮釈放が10年でできるというのは法律でそうなっているが、実際は、30年以上たってようやく仮釈放される、その数も年間3人程度と少なくなっている、刑務所の中で亡くなる無期懲役者の方が多い、死刑執行は当日の朝しか知らされないのは日本だけ、といった事実を知って、量刑を判断してほしい。

 弁護人の最終弁論は当然こういうことに触れるだろうし、触れなければいけない。こうして、市民が判決確定後の受刑者の処遇について関心を持つようになるということは、大変いいことだ。そこから改革が進む。

 これまでのプロのみの裁判では、このようなことに触れる弁論はそれほどなかっただろう。プロたちも、判決確定後のことについて、実はあまり知らず、関心もなかった。知っているつもりになっていただけというのが実情であろう。

 裁判員が真剣に量刑を考えることによって、ようやく判決確定後の問題に光が当たることになりそうだ。

 裁判員は、被害者側と被告人側双方の状況を目の当たりにすることによって、それぞれにぶれて、悩む。大いに悩んで、評議し、自らの信ずるところに従って判断を下してほしい。プロが量刑相場に従って、当てはめる結論が本当にそれでいいのか、その量刑相場そのものが見直されていい。なぜなら、その相場が正しい、などとは科学的には何も決まっていないからだ。実際、その相場そのものが変容している。近時の重罰化はその証拠だ。世間の重罰化の風潮に流されて、裁判所の判決が以前よりも重罰化していることは紛れもない事実だ。つまり、相場といっても、時の状況にながされるいい加減なものだ。裁判官は世論にものすごく弱い。それを、相場は時代とともに変わるものだなどと正当化していいのだろうか。なんとなく、相場がこの程度だたから、今回も同じ程度にしよう、となっているのではないか。それはバランスとしては妥当だということであって、公平といえば公平だが、そもそも本当にその量刑でいいのか、個別に真剣に裁判員とともに考えることが大切ではないか。

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2008年12月 1日 (月)

菅井きん

あの菅井きんが世界最高齢主演女優になった。

菅井きんといえば、「キューポラのある街」に出演していた顔が忘れられない。在日朝鮮人の夫が北朝鮮に子供を連れて帰る、その妻役であった。妻は日本に残る。親子が駅で別れるシーン。「すまないね」と言って、子供をじっと見つめる顔に万感の思いが表れていた。その表情が未だに私の脳裡に焼き付いている。

名女優だ。

川口の鋳物工場が舞台。下町の人々のエネルギーと純さに感動した。主演の吉永小百合はジュンという名前だった。その中学教師も良かった!

キューポラは私が中学3年のときに見たと思う。吉永小百合が同じ中学3年生役をやっていたから、そのように記憶している。小百合自身は当時高校3年生であったはず。

この映画を私は10回以上観た。何度観ても素晴らしい映画だった。今は亡き浦山監督作品。

この映画で青春を共感し、人生と社会を考えた。そのときの思いが今に繋がっているような気がする。

以来、私もサユリストになったことはいうまでもない。

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