2019年1月13日 (日)

なぜ日本は“中世”と言われるか~ゴーン事件で比較され

ゴーン事件で、日本の長期勾留や取調べに弁護人の立会いが認められないことが海外から批判にさらされている。これに対して日本政府は、刑事手続が異なるからと弁明している。議論がかみ合わない。

なぜ長期勾留や弁護人の立会いなしが問題とされるのか。その根本に迫る議論が不足している。

本質は日本の取調べ偏重にある。朝から晩まで取調べ、何日も何日も取調べ、それがいつまで続くかわからない、というのは日本だけである。当の本人はいつ釈放されるかわからず、早く出ることが最も切実な問題となり、裁判所はわかってくれるだろうと勝手に思い込んで、ウソの自白をしてしまう。人質司法といわれる日本の刑事司法の異常性だ。

諸外国では、取調べは数回で終わる。せいぜい1日数時間、12日程度である。客観証拠を重視し、取調べに重きを置かない。

日本は、石を抱かせて拷問するような江戸時代のお白州裁判が今も続いているといわれる。証拠が乏しいから、捕まえて自白を取ろうとする。代用監獄に長期間勾留して肉体的精神的に追い詰めて自白を強要する。国連人権理事会などから再三改善勧告されている。

取調べは適正に規制されなければならない。これが近代刑事司法である。

私は、2013年国連の拷問禁止委員会日本審査を日弁連代表として傍聴した。取調べへの弁護人の立会いが捜査の妨げになると弁明していた日本政府に業を煮やしたドマ委員(当時、モーリシャス最高裁判事)が、「まるで“中世”だ」と言った。この模様を、帰国して私のブログに書いたところ、1日で52000件のアクセスがあった。世界中に広がり、ユーチューブにも載った。

2011年「検察の在り方検討会議」が、「取調べに過度に依存した現在の捜査実務を根本から改める必要がある」と提言した。公の文書であるが、実態は今も変わっていない。近代以前の刑事司法だから、“中世”と言われるのだ。

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2018年9月24日 (月)

今市事件控訴審判決の論理破綻

今市事件控訴審判決を読んで驚いた。

1審判決は、客観的証拠だけでは犯人かどうかわからないとして、自白供述を拠りどころに有罪認定した。ところが2審判決は、客観的証拠で犯人性をかなり推定できるとした。その決め手となるのが、Nシステムと母への手紙という。

しかし、Nシステムの信頼性がどこまで科学的に証明されたのか。遺体破棄現場からかなり離れたところを車で通過したとして、それで犯人だと推定できるのか。8年前なぜその時そこを通過したのか、思い出せるのか。

母への手紙は、客観的証拠というよりも、自白供述といっていい。2審判決は、文面に迫力があるから信用できるというが、いくらでも誘導・指導により迫力ある手紙は書ける。本件殺人の自白であっても、「反復自白」(任意性を欠く自白に引き続いて、再度取調べられた結果なされた自白も、同様に排除されるべきである)に過ぎない。決め手にはならない。

 これだけで有罪とするのは無理だから、結局、自白供述に頼るしかなくなる。そこで1審判決有罪の決め手となったのが取調べの録画であった。2審判決は、取調べの録画を実質的証拠とすることの危険性を指摘し、排斥した。それを理由に1審判決を破棄した。そうなれば、自白調書の任意性、信用性が疑われ、客観的証拠だけでは犯人性を確定できないのだから、無罪とならなければならない。

 審判決は、殺害場所や殺害態様に関する自白の信用性を否定した。ところが被告人が犯人であることの自白の任意性、信用性は認めた。具体的な犯行状況の自白の信用性は認めないで、ただ殺しましたという抽象的な自白は信用できるとする。

逆ではないか。本件のように、取調べで、「証拠はそろっているから自白しなくてもいい。否認して死刑になるよりは自白して20年で出てこられる方がいいと思うが。」と言われれば、ウソでも自白したくなるであろう。具体的な犯行状況の根幹にかかわる自白が信用できないなら、ただ「殺しました」という抽象的な自白はなおさら信用できないのではないか。

 しかも審判決は、取調べ前半の自白の信用性を否定しながら、50日間何も取調べなかったからその後の自白は信用性があるという。驚くべき立論である。警察が24時間被疑者・被告人を手元に置いて全生活を支配する代用監獄の実態が全くわかっていない。50日間代用監獄に入れられたままでは、その前の状況が続いているとみる方が自然である。

なお、「(検察の)取調室の窓から脱出しようとして戒護の警察官らに引きとどめられた…(なお、当日、さらに警察官による取調べは行われている。)。」との指摘に注目したい。検察取調べになぜ警察官が立ち会っているのか。それでは警察での取調べによる威嚇が検察取調べにも影響することになる。絶対に避けるべきである。判決がこの事実を認定しながら、その後の自白の信用性を認めたことも納得できない。

 ただ、取調べの録画を実質的証拠とすることの危険性を論じたところは説得力がある。さすが、2年前に東京高裁裁判長としてこの問題の危険性を鋭く指摘する画期的な判決を出しただけのことはある。取調べの録画を実質証拠とすることを勧めた最高検依命通知に真っ向から敵対し、裁判所の見識を示したものとして高く評価される(牧野茂・小池編『取調べのビデオ録画―その撮り方と証拠化』成文堂2018年、拙稿「可視化は弁護をどう変えるか」『可視化・盗聴・司法取引を問う』日本評論社2017年)。今回の判決はそれをさらに補充するものであった。

取調べの録画を実質的証拠とすることは、「印象に基づく直感的な判断となる可能性が否定できず、…熟慮を行うことをむしろ阻害する影響がある」「自己の刑責を実際よりも軽いものにするためにした虚偽供述であるとの疑いを否定することができず」「自発的であっても、虚偽供述の可能性があることが、見落とされる危険性がある。」と2審判決は指摘する。

そこまでいうなら、なぜ本件の場合も、「否認して死刑になるよりは自白して20年で出てこられる方がいい。」と言われた被告人の心境に思いを致さなかったのか。2年前に審判決は、取調べの録画を証拠とすることの危険性をこれほど指摘しながら、結局は事実上録画で心証をとったのではないか、と皮肉もいいたくなる。具体的な犯行状況の自白の信用性を否定しながら、殺しましたという抽象的な自白は信用する逆さまの論理もそこから出てきたのではないか。

このような論理的に破綻している判決をなぜ出したのか。取調べの録画を証拠とすることの危険性をストレートに指摘したこととのバランスをとって、有罪判決としたのではないかと勘繰りたくもなるであろう。

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2018年6月17日 (日)

『共謀罪コンメンタール』新発売

共謀罪法が昨年711日施行されて、1年になろうとする。その間、1件も適用例はない。

この法律を読み解き、政府答弁の通りに解釈すれば、会社、市民団体に適用される余地はないが、あいまいな条文であるために、濫用される恐れは否定できない。

 

そこで、厳格な解釈を迫り共謀罪から会社、市民を守る解説書を現代人文社で発行した。編著者は私を含む3人。

その出版を記念する集会が共謀罪対策弁護団主催で施行日の来月11日午後6時半から文京シビックセンター4階シルバーセンターホールで開かれる。

共著者による解説、編著者3人の執筆秘話などを予定している。

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2017年7月18日 (火)

TOC条約締結で犯罪人引渡を受けられるか

TOC条約(=国連犯罪防止条約)締結のためという理由で、共謀罪が成立した。

日弁連は、共謀罪がなくても条約締結できるという立場であり、共謀罪策定の口実としてTOC条約締結を利用しているだけだと訴えてきた。

711日共謀罪施行を受けて、法務省HPが更新された。

これでTOC条約に加盟し、犯罪人引渡条約がなくてもスムーズに犯罪人引渡ができると手放しで喜んでいる雰囲気が伝わってくる。

ちなみに、日本が犯罪人引渡条約を締結している国はアメリカと韓国の2ヶ国だけ。

法務省HPには、TOC条約がない場合には、ドイツ、フランスなどには、犯罪人引渡条約がなくても国際礼譲で引渡請求はできるが、対応する義務はなく、フィリピン、オランダなどは条約が必要で引渡を受けられないと記載されている。

ところが、TOC条約があれば、いずれにせよそれを根拠として引渡請求が可能になり、相手国には引渡手続を迅速に行うよう努力する義務が生じるという。

しかし、TOC条約に加盟しても、努力義務だけでは、ヨーロッパ諸国とは、死刑の可能性がある事件は相変わらず犯罪人引渡ができないことに変わりないであろう。

法務省HPはそのことに頬被りしている。

「テロ対策」だとして「テロ等準備罪」と銘打って(ごまかして)共謀罪を成立させた以上、テロに関わる死刑の可能性がある事件の犯罪人引渡がどうなるか、何も触れないのはおかしい。

テロのような死刑事件では、相変わらず引渡を受けられないときちんと説明すべきであろう。

このような事件で本当に引渡を受けるためには、日本でも死刑を廃止するしかない。それが実は、日本での裁判を求める事件被害者のためにもなることである。 

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2017年6月22日 (木)

忖度だけで進むわけがない

首相の側近や内閣府が勝手に忖度して手続を進めることはあり得ない、という趣旨の530日付ブログを書いた。「首相の意向がない限り、動きようがない。」とも書いた。

現在大騒ぎになっている加計学園問題は、総理の意向に基づくものか否かが最大のポイントである。総理の意向を確認することなく、その側近や官僚が忖度だけで動こうとすれば、あとでこのような大問題として騒がれるリスクを負うことになる。「李下に冠を正さず」ともいわれる。だから勝手な忖度などできない。それは安倍内閣そのものの危機を招きかねない。そうである以上、総理本人の意向を確認しないでことを進めることは絶対にできない。

従って、本件は、必ず総理と協議しないでは進められない。総理の意向そのものに基づくものであり、萩生田官房副長官や山本地方創生担当相発の動きではあり得ない。総理を先頭とする「共謀共同正犯」である。

それは常識ではないか。なぜ、メディアはもっと断定的に報じないのか。「言い分が食い違っている」というに留まるのではなく、彼らの言い分はウソであると明確に報じないのか。

文科省のトップは、内部文書の存在は認めたが、そこで記載されているのは「不正確だ」など言っているようだが、どこがどのように不正確かを具体的に指摘しなければ反論にならない。というか、そのようにその上から言わされているだけだと、どうしてはっきり報じないのか。

ことは萩生田副長官に留まる問題ではない。必ず総理に直結する。子供が見てもわかる茶番劇が進めは進むほど、この国は墜ちるところまで落ちていくのか。

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2017年6月 8日 (木)

共謀罪が思想信条の自由を侵害する

 共謀罪は計画(合意)だけで成立するから、客観的証拠がない場合が通常である。準備行為という要件も、その範囲があいまいで漠然としており、それが計画に基づくかどうか、その目的を評価しなければ意味がないから、結局、合意の事実そのものを立証しなければならない。

その合意自体があいまい、かつ、しばしば変遷するものであるから、いつの時点のどのような合意を捉えるか、きわめてファジーである。それだけに、恣意的立証がまかり通る恐れがある。誰かが過激な発言をすればその部分を捉えられるところが、共謀罪の怖さである。

言った、言わないを直接的に立証する方法は、盗聴しない限り、その場で聞いたという者の自白しかない。従って、「共犯者の自白」が不可欠で、これまで以上に強圧的な取調べが行われる。

取調べに弁護人の立会いを認め、司法が独立している諸外国と比べて、「中世」とも揶揄されている日本の刑事司法である。昨年の刑訴法改正により、盗聴対象が一般犯罪に拡大され、司法取引が導入された。証人に不利益な証拠としない約束で証言を強制する刑事免責制度が共謀罪にも適用され、共犯者の自白が強制される。共犯者(証人)の名前が弁護人にさえ匿名にされる証人秘匿制度もでき、警察のスパイかどうかの見極めもできなくなった。

自白調書の任意性、信用性を争う場合、通常、客観証拠と自白の矛盾を突く方法がとられるが、共謀罪の場合は客観証拠に乏しく、争うことが困難になるだろう。

共謀罪が成立したら、自白偏重に拍車がかかる。どれほどえん罪が拡がるか、想像するだけで慄然とする。

共謀の間接的な立証方法としては、これまでの団体の活動の積重ねで目的を立証し準備行為と合わせて推認するしかない。団体員の内心ないし思想傾向、団体の性格などを日頃の活動から調査蓄積し、情報収集しておかなければならない。日常的な監視が不可欠である。

ところで準備行為は、犯罪行為自体とは異なり、合意に基づく外部的行為(顕示行為=オーバーアクト)であって、それ自体では違法性を基礎づける危険な行為ではないから、単なる処罰条件に過ぎない。いくら、政府が構成要件だと言っても、裁判所では処罰条件とされるであろう。従って、計画だけで、準備行為がなくても、捜索・差押、逮捕ができる(起訴も可能)。その脅しだけで十分に効果を発揮する。

共謀罪が一般市民の思想信条の自由を侵害する所以である。政府が共謀罪にこだわる真の理由は、法案が市民を監視、抑圧する格好の武器になるからとしか思えない。

刑訴法・盗聴法改正が共謀罪をはるかに機能させる。共謀罪を廃案にしたこれまでとは異なる情勢であるが、共謀罪の毒性が知られ、今の内閣は平気で嘘をつくということが暴露され反対運動が大きく拡がれば、内閣の死命を制することになろう。

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2017年6月 7日 (水)

共謀罪の対象は一般市民

共謀罪の対象は「組織的犯罪集団」といわれるが、条文上は組織的犯罪集団の一員でなくても、複数の個人が犯罪主体とされている。

条文の中に、「組織的犯罪集団」と銘打つ必然性もない。これまで3度廃案となった共謀罪法案は、単なる「団体」とされていた。「組織的犯罪集団」は枕詞に過ぎないから、そこに「テロリズム集団その他の」という枕詞を追加しても、条文の内容に何の変更もない。

法人税法違反について会社の経理部門が組織的犯罪集団と見なされ、それを計画した会社役員と経理担当者が法人税法違反共謀罪に問われる恐れがある。

スクープ報道の裏付けが弱ければ、組織的虚偽風説流布・偽計信用棄損・威力業務妨害罪などに問われ、その記者・編集者たちが組織的犯罪集団と見なされる恐れがある。それを企画した編集会議は、それらの共謀罪に問われる。その企画が団体のために計画したものであれば、これらの共謀罪に問われる恐れがある(法案6条の22項)。

もっとも、このようなケースが現在それほど犯罪に問われているわけではない。一見構成要件に該当するように見えても、実際は、どのような行為態様か、相手方の出方とそれに対する対抗手段、正当行為といえるかなど、「諸般の事情を考慮に入れて、それが法秩序全体の見地から許容されるべきものであるか否かを判定し」(最高裁判決)、総合的判断がなされる。

 ところが、共謀罪は、実行前の計画段階で犯罪が成立するから、その計画がどの程度発展するか、計画者すらわからない。実際に比較衡量して社会通念上許されるか総合的判断することができない。

 つまり、今までは実行行為そのものが歯止めになっていたから犯罪に問われないが、共謀罪は実行行為前の計画段階だから歯止めがない。捜査側が違法とする恣意的認定がまかり通る恐れがある。

 いま手元に、沖縄基地反対運動体の「新基地建設の強行を阻止しよう」「ブロック投下を止めよう」というビラがある。法案が成立すると、実力で阻止行動に出るのか、実行行為がないのでわからない段階で、このビラだけで組織的威力業務妨害共謀罪に問われ得る。

 組織的犯罪集団を定義づけている諸外国のように、日本でも、本当に文字通りの組織的犯罪集団対策に限定するつもりがあるなら、破防法適用団体、指定暴力団、特定秘密保護法上のテロリズム定義規定のように、法文上限定することができる。「集団の組織者が○○罪の前科前歴がある集団」などと限定することもできる。にもかかわらず法案に全く限定がないのは、もともと限定するつもりがないからだ。277もの対象犯罪があり、その中にはテロとは無関係なものがたくさんあることは、ターゲットが一般市民に向けられていることを示している。

 諸外国には、警察をチェックする機関がある(ニュージーランドには警察の不祥事を取扱う別の警察組織がある)が、日本には、警察を監督する行政機関がない(公安委員会は有名無実となっている)。その日本の警察の恣意的認定に委ねるわけにはいかない。

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2017年5月30日 (火)

加計学園問題の核心―忖度だけで実現するか

そこに実名が登場し、前文科次官までその存在を認めた内部文書。客観的に見て、誰も否定できないにもかかわらず、相変わらず「怪文書」扱いする官房長官たち。ろくに調査もしないで「確認できない」と言い、やり取りを「記憶にない」として逃げ、「再調査しない」と開き直る官僚たち。挙句の果ては、どこから入手したのか、人格攻撃。

子供たちは、偉い人はウソをつく、ウソをついてもいいのだ、と思うだろう。教育上最悪だ。もちろん、裁判所であれば通用するはずがないし、国民の中でも通用するはずがない。

文書の存在は決着済み。そんなことよりも、加計学園問題の核心は、首相の意向が示されたか否か、である。「指示はなかったろうが、忖度はしたのだろう」とか、「お金が絡まないから違法ではなく、大した問題ではない」とテレビでコメントする学者がいる。

内閣府が忖度だけで動くか。いくら首相と理事長が「腹心の友」だと知っていても、それだけで勝手に忖度して、役所として異例の措置をとるか。そんなリスキーなことをするはずがない。首相の意向がない限り、動きようがない。裁判所であれば、これだけで意向が出されていると認定するであろう。間接証拠で十分である。

政権の私物化も極まれり、こんな日本に未来はあるのか、と思いたくなる。権力トップの腐敗について、こんな滑稽な、見え見えのごまかしをするとは。これが通用するところを国際社会に見られるのは恥ずかしい。何よりも、子供たちがこの茶番劇を見て、まともに育っていくのか、心配だ。

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2017年5月 6日 (土)

共謀罪政府答弁の誤り

428日衆議院法務委員会で、共謀罪の必要的自首減免規定により「えん罪の危険が増す」との指摘に対して、金田法務大臣は、「捜査では客観証拠、供述の裏付け証拠の収集が重視される」と説明した。

しかし、共謀は合意だけで成立するから、客観的証拠がない。自白供述か盗聴しかなく、供述の裏付け証拠がない。といった場合が通常である。

もっとも、準備行為という要件がある。例えば、犯行下見という準備行為が客観的証拠となるとされる。花見か下見かどう区別できるのかという質問に対して、法務大臣は、ビールと弁当を持っていたら「花見」、地図と双眼鏡をもっていたら「下見」と説明した。しかし、ビールと弁当を持ってカモフラージュすることもあるだろう。

結局、準備行為ではわからない。準備行為が計画に基づくかどうか、その評価はその目的による。その目的の立証には、前記の通り、通常、客観的証拠がない。

ところで、政府は、国際犯罪防止条約に加入するには277もの共謀罪を作るしかない、と説明するが、加入国にこれだけの共謀罪対象犯罪があるのか、一切説明していない。その説明がない限り、とても納得できないといえよう。

そもそも、共謀罪を作らなくても国際犯罪防止条約に加入できる。既に、国会の承認決議があり、外務省が批准手続すればいいだけだ。

にもかかわらず、安倍内閣は、なぜ、共謀罪に執拗にこだわるのか。市民を監視する格好の手段になるから条約を利用しているだけと思わざるを得ない。

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2017年5月 5日 (金)

共謀罪の主体は個人

政府は、共謀罪の犯罪主体は組織的犯罪集団であり、一般市民は関係ないと説明している。

しかし、法案は、2人以上で計画した者が犯罪主体とされており、何ら限定されていない。 もっとも、「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団」の活動として、一定の犯罪遂行を計画した者が処罰されるとするから、組織的犯罪集団の活動として計画されるものではある。

しかし、その組織的犯罪集団とは、組織的逮捕監禁、組織的強要、組織的虚偽風説流布・偽計信用棄損・業務妨害、組織的威力業務妨害、組織的詐欺、組織的恐喝、公正証書原本不実記載、背任、横領、強制労働(労基法5条)、特許権侵害、商標権侵害、脱税、著作権侵害、営業秘密不正取得などを、共同目的として実行する団体とされている。

一般市民と関わりのある犯罪類型がたくさんあり、正当な行為でも見方によってはこれらの犯罪とされる恐れが多分にある(現に、これまでも、労働組合運動や市民運動をはじめ、そのような実例がたくさんある)から、一般市民と関わりないとは到底いえない。これらを「組織的犯罪集団」と称してレッテル張りしているだけである。

具体例で想定すると、沖縄の基地反対運動で、高江の山城議長が威力業務妨害罪などで逮捕され、現在公判中である。

山城議長らの団体は、座り込み(組織的威力業務妨害)を共同の目的として実行する団体であるから、組織的犯罪集団とされ、 その団体の活動として、座り込みを「2人以上で計画した者」が犯罪主体となる。

計画者2人ともが、団体メンバーでなくてもよい。例えば、山城議長の相談によくのっている本土の国会議員、記者など誰でもよい。 彼らが、近々沖縄に行くので、山城議長に、「自衛隊が『米艦防護』した今こそ、すぐに座り込み闘争すべきだ」とアドバイスしようと「計画」し、そのうちの1人が航空券を手配すれば、組織的威力業務妨害共謀罪がこの段階で成立する恐れがある。 山城議長(の側近でも)が上京し、この相談=計画をすれば、なおさらである。座り込みを実行する前だから、どんな座り込みの態様になるかもわからない(全く平穏に行われるかもしれない)のに、犯罪が成立し、逮捕、捜索されることになる。

この座り込みを正当な活動だと擁護する記事を書こうと編集会議をすれば、記事にする前に、組織的虚偽風説流布共謀罪が成立する恐れがある。その記事が本当に組織的虚偽風説流布罪に該当するのか、記事を書く前なので検証しようがないが、共謀罪は記事を書かなくても成立する。琉球新報や沖縄タイムスは、これで弾圧されるといった事態が想定される。 まさに、憲法上の表現の自由が危機に瀕するといわざるを得ない。

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